大野瀬の歴史

  • 大安寺遺跡

大野瀬は古くから人が住んでいて、大安寺遺跡にその痕跡を見ることができます。 1950年(昭和25)に岡田松三郎氏(おかだしょうざぶろう)が発見し,1961年(昭和36)に発掘調査された。

縄文時代初期の住居跡としては,愛知県において貴重な遺跡である。現在,住居跡はコンクリートで固めてある。発見当初は,弥生式土器が出土したことから弥生時代の遺跡と考えられていた。ところが,1961年(昭和36)に再度発掘調査されたとき,思いがけず多量の縄文式土器片と住居跡1基が発見された。

土器の多くは厚さが数ミリという薄手のもので指圧痕,条痕などが施されており,縄文時代前期あるいは早期末の約6千年前のものと考えられる。住居跡は,この土器と同時代のものであると考えられる。

住居の直径は2.26メートルと小さく,炉はない。床面の中央に1本の心柱と他に6本の主柱,2本の支柱があったと考えられる。石器は石鏃,石錐などが出土している。

出土した土器類は、豊田市稲武郷土資料館に展示されていて見ることができます。

 

  • 尹良親王伝説

大野瀬の柏洞に御殿山と呼ばれている所があります。ここには五十数年前まで、大変古く、太い、からかさのような形をした見事な松の木が一本立っていました。遠くからその美しい姿を見ることができ、大野瀬八景の一つとして数えられていました。

昔、尹良親王が御所貝津を立たれ、信州(長野県)に向われた時、杣路峠から眺めた信州が山また山の難路であるので、この山に女官たちを残して行かれたと伝えられています。

この山は、土地の人でさえ迷う程の難所で、敵の目を逃れて隠れる場所としては最もよい所で、ここに館を建てたことから御殿山と呼ばれるようになったのです。屋敷跡といわれる所は、今も木は育たず、昔から女の人は絶対に入ってはならないといい伝えられて来ました。ここから峰伝いに道標のように点々と大きな石が置いてあって、これをたどって行くと月瀬の庄屋屋敷へ出られます。その後戦国時代には、この地が戦場になるような時には、女・子どもを隠したということです。

また、御殿山には岩山があり、その岩山を利用して祠がつくられています。ここを表宮といって秋葉様が祀ってあります。この御殿山には、昔から大蛇が守護神として住んでいるといわれ、大蛇の姿をみた人は必ず高い熱を出して寝込み、それが元になって死んでしまうといわれています。明治時代でも三人位の人が死んだということです。

表宮の祠の前には、昔からの賽銭がうず高くなるほど供えられていましたが、今ではほんの少ししか見られません。石の下にはおそらく天保以前の金であろうといわれる古銭を、見ることがあります。

御殿

御殿

国道から見上げた所です。赤丸のところが御殿山で今でも女人禁制になっています。

御殿山